日本語で日本近代文学を書く小説家 A novelist writing modern Japanese literature in the Japanese language.
略歴
東京に生まれる。12歳の時、父親の仕事の都合で家族と共にニューヨーク近郊のロングアイランドに移り住む。アメリカになじめず、ハイスクール時代を通じて、昭和二年発行の改造社版の「日本現代文学全集」を読んで過ごす。ハイスクールを卒業したあとは、英語と直面するのを避け、まずはボストンで美術を学ぶ。次にパリに短期滞在した後、最終的にはアメリカのイェール大学と大学院で仏文学を学ぶ。博士課程を修了したあと、日本に一度戻るが、また渡米して大学で日本近代文学を教える。東京在住。
最初に発表した小説、『續明暗』(1990年)は、夏目漱石の遺作で未完の作でもある『明暗』(1917年)を、漱石独特の文体と表記法を使って完成させた。芸術選奨新人賞を受賞した。
第二作の、『私小説 from left to right』(1995年)では、日本語に英語を交ぜた横書きの文体を用いて、自伝風にアメリカでの生活を描いた。野間文芸新人賞を受賞した。
第三作、『本格小説』(2002年)は、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を、中国の少数民族の血が半分混ざったヒースクリフを登場させながら、日本の近代史を描いた。読売文学賞を受賞した。
『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』(2008年)という長い評論では、西洋に触れた日本の衝撃から近代文学の誕生までの歴史を振り返り、そのとき国語になった日本語の高みが、現在の英語の制覇によって、いかに崩れ去る危険に晒されているかが語られている。小林秀雄賞を受賞した。
『日本語で読むということ 』(2009年)と『日本語で書くということ』(2009年)の二冊は、過去にわたって書かれたエッセイや随筆を集めたものである。『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』の執筆に至るまでの経緯を辿ることができる。
最近作『母の遺産−新聞小説』(2012年)は、読売新聞で毎週土曜日に連載した新聞小説に、加筆修正をほどこしたものである。母の介護に追われ、離婚を考える五十代の女性を描いた。大佛次郎賞を受賞した。
その後4冊の著書の英訳の推敲作業に追われていたが、現在は新しい小説を書いている。2021年『新潮』連載予定。
受賞歴
1990年 芸術選奨新人賞 『續 明暗』
1995年 野間文芸新人賞 『私小説 from left to right』
2003年 読売文学賞 『本格小説』
2009年 小林秀雄賞 『日本語が亡びるときー英語の世紀の中で』
2012年 大佛次郎賞 『母の遺産ー新聞小説』
学歴・職歴
恵泉女学園中学校
グレート・ネック・ノース中学校・高校卒業 ニューヨーク州グレート・ネック
ボストン美術館附属美術学校-ボストン
ラ・ソルボンヌ パリ大学-パリ
1976年 イェール大学卒業, 仏文学専攻, summa cum laude, Phi Beta Kappa, Honors in French
1982年 イェール大学大学院, 仏文科修士, Marguerite A. Peyre Award
1984年 イェール大学大学院, 博士課程修了
1987−1991年 プリンストン大学講師
1991年 ミシガン大学客員助教授
1998年 スタンフォード大学客員教授
招聘歴他
1984年 国際交流基金研究員
1989年 コーネル大学講演
1998年 ミシガン大学日本文学中西部学会講演
1998年 日本中国文化交流協会代表団団員として訪中
1999年 パリ メゾン・ド・ジャポン講演
2003年 アイオワ大学国際創作プログラム招聘作家
2004年ー現在 アイオワ大学国際創作プログラム顧問
2005年 アメリカPEN国際文学祭招聘作家
2007年 プリンストン大学にて日本文学学会基調講演
2007年 イェール大学講演
2007年 コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センター講演
2009年 プロバンス大学文学祭招聘作家
2011年 ブエノスアイレス文学祭招聘作家
2013年 ベルリン自由大学招聘作家
2014年 ウブド文学祭招聘作家
2014年 東京国際文芸フェスティバル招聘作家
2014年 日本アスペン研究所懇話
2015年 ハワイ大学講演
2016年 ブラッドフォード文学祭招聘作家
2016-17年 コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センター・千宗室日本文化講演
2017年 フェロー諸島文学祭招聘作家
2021年 ブエノスアイレス文学祭招聘作家
2021年 ジョージタウン文学祭招聘作家